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能登島の塩

[調味料]

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あられが振り残った能登島 長崎町。

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海が目の前にあるこの小屋で塩づくりが行われているということで

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能登島での塩づくりの様子を見にやってきました。

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雪が少なかった2020年の能登、この日は早朝にアラレが振り、
今ちょうど止んだところ。

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ワクワクする磯が広がっていました。

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昨日もここでタコが獲れたんだと聞いてしまっては、
塩づくりの見学はちょっと待った。
この擬似カニくんでタコ獲りをさせていただくことに。

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能登島の豊かな海藻がわっさわさ。

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岩の隙間を狙う高橋くん。

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ツンツンしながら、カニを動かして、タコが抱きついてきたところで
ずっしりしたら先ほどの針を上に引きひっかける漁法。

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しかし、海藻の量がすごい。
そして、透明度も素晴らしい。

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ん???
ずっしりきたぞ!!
間違いない。
これは、タコだな。

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タイミングをみてグイッっと引っ張ると、

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立派なホンダワラがとれました。。。。
時間があれば、ずっとやっていたいんだけど。
タコは諦めて、大人だらけで磯遊び開始。

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能登名物 ナマコ(アオナマコですね)。

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高橋くは、海厨房で石でムラサキウニを割り、試食タイム。

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高橋くんの剥いたウニをその辺りの木の棒でいただく岡田。
おおお!思っていたより味が濃い!

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磯遊びはなんでこんなに楽しいのだろうか。

さて、本命のお塩作りの現場へ。

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こちらが塩の生産者であり
自然の里ながさきの源内伸秀さん

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様々なお仕事をしながら、お塩作りもされています。

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小屋のすぐ横が海という環境です。
500Lの海水を3日間荒炊きして
仕上げ炊きを丸一日。
30kgの塩ができます。

能登島長崎町の塩づくりの歴史について

〈古代〉
土器で海水を煮沸し、塩をとる方法を土器製塩といい、
それに用いられた土器のことを製塩土器とよびます。
能登島でも行われ、
長崎さかい松遺跡・長崎古屋敷遺跡・長崎小浦遺跡から
製塩土器が見つかり、またこの周辺の畑からも土器の破片が出土します。

〈近世〜近代〉
藩政時代は揚げ浜式製塩が行なわれていました。
しかし、藩の政策である専売制のもとでの塩の生産と販売が厳しく統制され、
生産者であっても自家用に使うことはできず、
すべて塩問屋を通じて塩を購入していたそうです。
能豆島では、揚げ浜式製塩が近代まで行なわれ、
幕末から明治初期までは特に大きな変化はありませんでしたが、
日清戦争後の明治29年(1896年)に生産高が減少し、
明治38年には衰退してしまいました。
政府は塩の専売制を明治38年(1905年)からはじめ、
同時に効率の悪い塩田の整理も進め、
明治44年(1911年)に第一次塩田整理が行なわれ、
能登島のすべての塩田はこのときにすべて廃止されました。
また長崎と小浦との間に通称二崖(夫婦崖)と呼ばれる断崖地があり
海水面上に7箇所の侵食があります。
深いところで約30mあり塩隠し穴との言い伝えも残ります。
そして小浦にある鍾乳洞とつながっているとも言われています。

〈昭和〉
平成29年で100歳になった長崎町在住の中山武男氏(大正6年7月16日生)が
終戦まもなく、昭和21年2月に出兵から帰郷して自家消費の味噌づくりのために塩づくりを始めました。

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戦地で南トラック諸島(現在のミクロネシア諸島)まで行かれたそうで、
同じ部隊で一緒だった沖縄県糸満市出身の中々里(なかなかり)さんから海水を煮詰めた塩づくり習い、
その作った塩で魚の塩漬をして戦地が無人島の所へ、部隊の食料として運んだそうです。
当時の中山さんの塩づくりは、まず小屋を作り、
線路のレールを数本敷き詰め、その上に6尺×4尺、深さ40cm、
鉄製の平トタンの四隅を曲げただけの簡単なものでしたが
長崎の海水で作った塩は飛ぶように売れて島外からも買い付けに来たそうです。
(当時の月給600円だった頃、1回の塩づくりで1,000円の売り上げ、東島産業組合の船で1日1往復のみの運行で塩を買いつけに来る。)
塩づくりにも独自の技術・工夫があり、鉄製のだったため最初、錆びのため白い塩にならず、
藁灰を入れて煮込み鉄錆びを取ったそうです。
また釜の中の塵を取るのに金物(入れ物)を針金で釣り、
塵を取るなど独自の技法を考案しました。

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堤防の工事。ウインチで岩を吊り上げている様子です。

昭和21年から4,5年程続きましたがその後、
食塩が流通して中山さんが始めて十数軒まで増えた長崎の昭和の塩づくりは、
その後途絶えてしまいました。

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この頃、長崎の海辺の景観も塩づくり小屋10数棟・木造船小屋10数棟・茅葺舟小屋10数棟、40棟ちかくの小屋が 建ち並び、
昭和の里海の景観を醸し出していました。

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〈平成〉
平成21年度から昭和のづくり再生を計画。
平成22年度、中山武男氏から塩づくりについての聞き取りを行い、塩づくり実験を行なう。
平成23年 地材を使って塩づくり小屋の骨組みを作る。
平成24年 塩づくり釜土と塩釜を作り、中山武男氏の指導のもと塩づくりを行なう。
平成25年 塩づくりを体験プログラムに組み入れ、里海活動の拠点づくりを進める。
また 大学生との交流により、塩づくり舟小屋の半面の茅葺を葺く。
平成26~28年 ボランティアとの交流により耕作放棄地での茅の刈り取りを行い、
茅の調達と交流スペースとなる塩づくり小屋の増築を行なう。
平成29年 本格的な塩づくりを進めるために塩の商品化を目指す。
また長崎の昭和塩づくり再生の元祖、中山武男氏、百歳で永眠(平成29年9月28日)
平成22~29年 この間いろいろなアドバイスを頂く。
この他、これまでにいろいろな方面から支援を頂き活動を進めている。
また塩焚きの燃料となる薪木も長崎の里山整備から伐採した薪を使用しています。
現在、長崎里山縦貫道を整備中、車両の進入が可能となり、新たな里山活用が期待されます。
そして長崎地区は生物多様性の保全にも力を入れており、
自然環境調査や稀少種の保護など自然と人が共生する地域づくりを目指しており、
塩づくりの再生が里山保全・豊かな自然環境の促進に結びついていきます。

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小屋の天井は、見事な煤竹(すすだけ)になっていました。

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現在釜炊きで作っている藻塩とは別に、
ホンダワラを海水と一緒に底の尖った土器に入れて土に刺して作る
『土器製塩』で昔ながらの茶色い藻塩を作ったり、
ホンダワラを何回も海水に付けて乾かしを繰り返し
最後に燃やす藻塩作りや
ワインと海水を一緒に煮詰めたワイン塩などにも挑戦していくそうです。

今回は、釜炊きのタイミングではありませんでしたが、
この土地での塩の歴史背景を重んじた源内さんの想いが
どのような結晶になるのか。
それは塩を食べてみてのお楽しみです。

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お約束の記念撮影。


源内さんが作られたお塩は
ネットではまだ購入出来ないようですが、
能登に行かれた際には、ぜひチェックしてみてください。
能登島の道の駅を中心に、島内のカフェや民宿で販売している「まあそい」印が付いてます。
https://masoi.net/