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鮭(サケ)の赤ちゃんと目が合って興奮。

[淡水魚]

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三面川漁協では
毎年1000万粒の鮭の卵を採卵目標としています。
そのうち、孵化するのは8割ほどだそうです。

捕まえたメスは、成熟したものと未成熟のものとに分け、
未成熟のメスは成熟するまで数日間蓄養し、その後採卵します。

採卵は、親サケの腹を圧迫して、しぼりながら卵をとる搾出法と
腹を切って卵をとる切開法があります。
切開法は、全部の卵を取り出せるので広く行われています。
親サケを乱暴に扱ったり、驚かせたりすると、卵が孵化しても
奇形が出るそうで慎重に扱うそうです。

1回の受精は、採卵盆に取り出したメス10尾分の卵に対して、
オス2〜3尾分の精子をかけ、手で静かにかきまぜます。
精子は、接水直後に活発に動き出し、
約30秒ほどで活動を終えます。
その間に、受精が行われます。
受精が完了した卵は、振動に大変弱く、慎重にあつかいながら水洗いし、
血液や汚物を取り除きます。
その後、40〜50分そのまま置き、卵がたっぷりと水を吸収してから、
孵化槽に入れます。

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卵に直射日光や紫外線が当たらないよう、室内を暗くして飼育します。

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孵化槽(ふかそう)に収容してから、水温8℃で約30日経つと(積算温度240℃位)、
卵の中に黒い目ができます。
眼の黒い部分の色素が、卵膜を通してはっきり見える状態を
発眼卵(はつがんらん)といいます。

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発眼から、さらに30日を過ぎると稚魚が誕生します。
この間、卵は直射日光に弱いので
孵化室の中に日光が入らないように暗くして、卵に酸素が行きわたるように水を調節したり、消毒したり、細心の注意をはらって管理します。
死卵には水カビが発生し、まわりの卵に酸素が行き届かず、死んでしまいます。そのため外部からの衝撃に強くなる発眼後に、無精卵や死卵の除去を行います。無精卵とは、受精ができなかった卵のことです。
死卵は白く濁りますが、無精卵は外部からの刺激がないと赤いままで
検卵時に分かりにくいため、淘汰(かきまぜ)をし、無精卵を白く濁らせてから検卵します。

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【村上鮭産育養所】
明治時代、村上藩がもっていた三面川の漁業権は国のものとなりました。
廃藩置県など、維新の改革で困窮する士族たちは、何度も国や県に願い出て
三面川の漁業権を再び得ることができたそうです。
彼らは『種子の制』による従来からの天然産卵保護増殖とともに、
新しい人口孵化増殖事業も積極的に推進しました。
明治9年(1876年)、アメリカから日本へマスの人口孵化法が初めて導入されました。士族たちは、この人口孵化法をサケに応用するため、
早速、明治11年には孵化場を建設し、サケの人口孵化に成功しています。
記録によると、明治11年には孵化場で25万粒を採卵し、
4万粒を三面川に、5万粒を長野県へ、8万粒を東京府へ、8万粒を愛知県へと送り、それぞれの河川へ放流され、以降も毎年、全国の各河川へ村上で孵化した稚魚が放流されたとあります。
こうした士族たちの努力は、鮭の漁獲実績を着実に向上させていきました。
明治15年、士族たちは三面川での漁業権の行使と、これに関わる一切を統括するため、『村上鮭産育養所(むらかみせいさんいくようしょ)』を設立したそうです。ちなみに、鮭の旧字は 魚偏に生 と書いていたそうです。
この団体は、同時にサケ漁以外の治水、殖産、慈善、教育等の機関でもありました。以降、この育養所によるサケ漁は、明治、大正、昭和の20年代まで80年間続き、その収益を公益事業や子弟の育英にあてるシステムを存続させました。村上では、この育英制度で勉強した人たちを『鮭の子』と呼んでおり、
多くの鮭の子が政財界、官界、教育・法曹界で活躍されているそうです。
現在も、飼育のねらいは、孵化した稚魚を健康で丈夫な魚に育てることです。
そのために飼育池全体に酸素が十分行きわたるように点検したり、
エサは稚魚の状態をよく観察しながら時間をかけて与え、
池の底にエサが残らないように気を配るそうです。
稚魚を自然の環境に近い状態で育成するため、
飼育池に砂利を敷くなどの工夫もされています。

受精後、約二ヶ月で孵化が始まります。
孵化が近づくと卵は赤みを増し、時折中の仔魚(しぎょ)が元気に動く姿が確認できます。
仔魚とは、さいのう(栄養袋)を吸収し終えるまでの赤ちゃんのことです。
孵化する時に、仔魚は頭部より酵素を出し、卵膜を溶かして外に出てきます。
このようになるまでの積算温度は480℃位です。
生まれたばかりの仔魚は弱く、
直射日光に長時間当たると死んでしまうので、日覆いをします。

生まれた仔魚は、約1ヶ月間お腹の所に付いている『さいのう』という
赤い袋から栄養をとり、
その後エサを求め泳ぎ出します。
この状態を『浮上』といいます。

浮上したら餌付けを始めます。
放流までの約2ヶ月間、餌付けをします。
餌付けが進むと、汚れがひどくなってくるので、
通水を良くして環境をきれいに保ちながら、
元気な稚魚の育成につとめます。

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無事、元気に生まれたサケの稚魚たち。
この時の大きさは、およそ1グラム程です。

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地元の小学生たちが毎年2月から4月上旬にかけて放流しています。

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放流された稚魚は、しばらくの間、川の岸近くでエサをとりながら過ごし、
やがて海に下ります。海に出たあとも河口付近でエサをとり、
海水になれ、体力をつけてから一路太平洋に向かって旅立っていきます。

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サケの幼魚

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川から海にでて、またこの川に戻れるのは約3,4%、
5,6万匹と言われています。

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ちなみに、鮭の一番の敵は人間だそうです。。。
川に戻ってきたサケは1週間で、体色が黄色くなってきて
10日前後で産卵を迎えます。