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2018.12.20

とらふぐ・トラフグ・虎河豚・akifugu rubripes

[寿司日本酒海の生き物]

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フグ目フグ科トラフグ属トラフグ

トラフグは、日本海・東シナ海・太平洋沿岸・瀬戸内海などの
水深5〜150mに生息して、エビ、カニの仲間や魚などを食べています。
トラフグは胸ビレの近くに白く縁取られた大きな黒色紋があること、
臀鰭(しりびれ)が白いことで、すぐに他の種と見分けることが出来ます。
背面と腹面には小棘(とげ)があります。
背面の模様は大きさ、生息場所によって異なります。

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1949年まで同種とされていた『カラス』という種はトラフグによく似ていますが、
臀ビレが黒いことで見分けることができます。
3〜6月頃になると、瀬戸内海や天草周辺の潮の流れが速い、水深20〜50mの砂地に集まり産卵します。
春生まれたものは、秋には20cm,
1年で25cm、2年で35cm、3年で産卵します。
最大全長約80cmで10kgにもなります。
フグ科の中では最大級です。

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ふぐは昔、『ふく』と呼ばれていました。
平安時代ん漢和辞書【和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)】には
『布久』と書かれています。
山口や九州などのフグの生産地では、今も『福に通じる』として
『ふく』と呼ばれています。
フグには色々な種類があって、個性がありますが、
どれも一見してフグだとわかる形をしています。
球型で、ウロコはなく、ヒレは小さくて、口も小さい。
そんな共通した特徴があります。


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トラフグは、食用フグとして取引されるフグの中では最も有名で、高級なフグです。
筋肉や皮や精巣は無毒なので、食べられますが、
他の種類のフグと同様に、テトロドトキシン(強い神経毒)を肝臓や卵巣などに含むため、
食べられません。
毒の強さは、個体や時期にもよって異なりますが、
どちらにせよ、調理には免許が必要です。
毒をもたない養殖のトラフグもあります。

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トラフグが砂に潜るのは、休憩、病気、外敵から身を守るなどの時と言われています。
人間のまぶたが上下に動いて目を閉じるように、
フグ科の仲間の多くは、眼に物が当たったり、寄生虫がつくなど、刺激を受けると
眼の周囲の皮膚を眼の中央に集めるようにして眼を閉じます。
他の魚類ではこのように眼を閉じるものは知られておりません。
脊椎動物ではフグ独特です。
なぜフグだけがこのように眼を閉じるのかはまだわかっていません。


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フグが膨らむ時には、自身の体重の2倍の量の水を数秒で吸い込んで膨らみます。
吸い込んだ水は胃に入るわけですが、
口から胃につながる食道と胃の繋ぎ目にある食道括約筋(しょくどうかつやくきん)と
胃から肛門につながる胃と幽門の繋ぎ目にある幽門幽門括約筋(ゆうもんかつやくきん)を
絞ることで水が漏れないようにします。

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トラフグは延縄(はえなわ)漁でとります。
エサは、イワシ、サンマ、サバなど。
トラフグの歯は鋭くて、何にでもすぐに噛み付く性質があるので
捕獲したらすぐにペンチで鋭い歯を切ります。
生け簀の中でもトラフグ同士噛み合わないためにもです。

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昭和50年代から盛んになったフグの養殖、
現在、山口県下関市では8割から9割が養殖魚になってきています。
海の上に生け簀を作り、稚魚を放して1年半〜2年間飼育します。
エサやりは夏が1日1回、秋から冬は1日2回。
とらふぐは狭い場所で育つと互いのヒレを噛み合ってしまいます。
傷つくと上手く泳げず成長が悪くなるうえ、市場価値が大きく下がります。
そのため、生け簀に入れた早い段階で稚魚の歯を切断します。
歯切り作業は1匹につき少なくても3回。
フグの量が量だけに、これだけでも大変な仕事です。

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下関では『袋競り』と呼ばれるスタイルの競りが行われます。
競り人と仲買人の手首に黒い筒状の袋がかけて、袋の中の指の動きで、
競り人に希望価格を伝えます。
外から見てもいくらの値を付けているのかわかりません。
競り人は指先の動きに集中しながら競りを進めていきます。
袋競りでは、『これは絶対に欲しい!』と思ったフグを、仲買人が指し値で落とすことができます。

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天然のフグは頭が丸くて、養殖のフグは三角っぽいです。
どちらのフグも身がキリッと締まっているのが良いフグ、ブヨブヨしているものはダメなフグ。
競りで触ることはできませんので、
すべて上から見て判断です。
表面はトラの模様が綺麗で全身が輝いていて
尾ビレがスッと長く、色はしっとりと黒い『カラスの濡れ羽色』が最上級です。

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競り落としたフグを、水槽で泳がせて落ち着かせてから
状態の一番良い頃合いを見計らってさばきます。
食べられる部位と食べられない部位に分けることを『身欠く(みがく)』と言います。
下関では丁寧に皮をはぎ、内臓や有毒部位を除去した後、
さらし木綿で身を磨くように仕上げることから『磨く』と書かれるようになったようです。

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磨きにしたフグの身をさらしに巻いて冷蔵庫に入れて数日間置きます。
水分を飛ばしながら身を締めるためです。
こうするとさらにフグの美味しさが深まります。
大きさによって、何日間熟成させるか、さらしをもう一度巻き直して
もう少し寝かせるか。
熟成した味がフグの醍醐味なので身を引く前のこの感覚も大切です。

天然の良いフグは身の締まり具合で違いが一目瞭然です。
昔は『ふく一匹に水一石(180mlほど)』と言われるくらい
大量の水を使って洗っていたそうです。
それほど洗うのが大事なのですが、
仕上げた磨きを布巾で拭き上げた時、質のいいフグはキラキラと輝がすごく、
それを薄造りにすると、光が反射するのと、向こうに抜けていくのとで
一層まぶしく輝きます。


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フグの刺身盛りは『てっさ』と呼ばれます。
1枚を薄く切る(一枚引き)で盛る菊盛りや
1枚切った身にもう一度包丁を入れて開く(2枚引き)ことで、
一枚引きに比べて幅の広い刺身にして盛り付ける牡丹盛りがあります。

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皮の扱いも繊細で、なかなか本来の味を出し切れないことも多くあります。
湯引きにした時、ゼラチンが透き通り、口の中でほどけるようになるのが
最高の状態です。
そうなるように切るには、高い技術と経験が必要です。


口に入れた途端に『美味い!』という魚もありますが、
フグは2,3枚口の中に入れて、すぐにではなくゆっくりと美味しさが広がってきます。
あの感覚はなかなか他にはない美味しい感覚です。

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毎年4月29日に全国のふぐ関係者が下関南風泊市場に集まって、『ふく供養祭』が行われます。
フグの御霊を慰めるとともに、来期の豊漁と無事を祈るお祭りです。
幾千万のふく殿(必ず敬称が付きます。)に感謝しながら
祭壇に向かって御焼香を行います。
その後、感謝の気持ちを込めてお札が貼られたフグを関門海峡へ放流します。


【フグヒレの作り方】
ヒレを体から切り離したら、
ヒレの先は切って、血抜きをします。
水に1週間浸して、小まめに水を取り替えて血抜きします。
板などに貼り付けて天日で乾燥させます。

乾いたヒレは、3分〜5分ほどオーブンなどで焼いて
ヒレの周囲が黒く焼け、煙が少しでれば出来上がりです。
瓶などに乾燥剤と一緒に保管もできます。


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【ふくのひれ酒】

日本酒を75度から80度(湯気がちょろちょろ出るくらい)で温めて火を止める。
うつわにフグヒレを入れて熱々のお酒を7分目くらいまで入れて蓋をする。
2,3分経ったらヒレを取り出し火を付けてアルコール抜きをする。
これでヒレ酒の完成です。

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下関には、ひれ酒以外にもとっておきのお酒が
ひれ酒と合わせて全部で5種類
【五鰏酒(ごふくざけ)】です。
ふくの贅沢、ここに極まります。

五鰏(ごふく)とは
5つの幸福、ひれ、身、白子、骨、うぐいす(口の部分)のことで
これらの部位が最高の状態で揃う下関ならではの楽しみ方です。

五鰏酒の決め手は熱燗の温度です。
熱過ぎても美味しくないし、ぬる過ぎると生っぽくなってしまう。
75度〜80度が美味しいと言われています。
熱燗としては、かなり高めの温度です。

まず最初は定番の『ヒレ酒』で香ばしさが食欲を刺激します。
次は『身酒』。
薄造りの身4,5切れをうつわに入れて熱燗を注ぎます。
箸で軽く混ぜると刺身はうっすら色が変わり、上品なしゃぶしゃぶのようになります。
それをいただいてから身の香りが移ったお酒をゆっくりと味わいます。
次に『白子酒』。
新鮮な白子を網焼きにして、塩を振って食べると美味しいですが、
これを器に入れて箸でほぐすように混ぜます。
熱燗を注いでさらによく混ぜます。
お抹茶を点てるように一気に混ぜると、
ふわふわの白子酒の完成です。
やわらかな香りとコクのある芳醇な味わい。
次に『骨酒』と『うぐいす酒』です。
これらは基本的にヒレ酒と同様で、
天日で干したものを香ばしく炙り、お酒に入れて香りを楽しみます。
緩急のある味のジェットコースターが楽しめる飲み方です。


【ふく食文化解禁の地】
老舗ふく料理店『春帆楼(しゅんぱんろう)』さん。
日本のふく料理公許第一号のお店です。
日清講和条約が調印された場所でもあります。

1887年(明治20年)の暮れに、
当時初代内閣総理大臣を務めていた伊藤博文公が、ふらりと春帆楼にいらしたそうです。
大時化(おおしけ)続きでまったく魚の獲れない日だったタイミングにも関わらず、
伊藤さんは『魚を食したい。』と。。。
わがままか。
しかし、手に入った魚はふくのみ。
春帆楼の初代女将のミチさんは、
お手討ち覚悟(命がけ)でご禁制のふくの刺身を御膳に出しました。
豊臣秀吉さんによる『ふく禁食令』は当時まで引き継がれていましたし、
当時の法令でも厳しく禁止されていました。
しかし、禁食令は表向きだけで、下関の庶民は昔から日常的にふくを食べていました。
伊藤博文さんも幕末の志士たちと何度もふくを食べていたので、
その味は良く知っていました。
しかし、伊藤さんは初めて食べるような顔をして
『こりゃあ、うまい!』と賞賛してくださったそうです。
年が明けた1888年には、
早速、当時の山口県令(知事)原 保太郎さんに命じて解禁。
こうして春帆楼はふく料理公許第一号となったそうです。

1895年(明治28年)3月20日から、
日清戦争後の講和会議である日清講和会議が開催されました。
この会議には日本全権の伊藤博文(いとうひろぶみ)さん、陸奥宗光(むつむねみつ)さん、
清国全権の李鴻章(りこうしょう)をはじめ、両国の代表11名が出席しました。
会議は繰り返し行われ4月17日に日清講和条約が調印されました。
なぜ、この講和会議が下関で開催されたのか??
長崎、広島なども候補に挙がったそうですが、
1週間前に伊藤さんが『下関の春帆楼で』と発表したそうです。
会議の終盤、増派された日本の軍艦が遼東半島をめざして、
関門海峡を次々と通過していきました。
実はこれを見せるのがポイントでした。
眺望の良い春帆楼からは、関門海峡が広く見渡せます。
この光景は清国使節団に脅威を与え、交渉は日本のペースで展開したと言われています。
つまり、日本の軍事力を誇示するためにこの場所が最適で選ばれたということです。

1945年(昭和20年)下関空襲で敷地内の日清講和記念館以外は全焼してしまいました。
1955年(昭和30年)再建
1985年(昭和60年)全面改装

現在の春帆楼さんはこちらからどうぞ。
https://www.shunpanro.com