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完熟南高梅 (やすひろ農園)

[青果]

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南高梅の一大産地
和歌山県 日高郡 みなべ町。

毎年お世話になっているのが『やすひろ農園』の田中康弘さん。

酢飯屋の自家製ジュースで不動の人気を誇る
『完熟南高梅ジュース』は
田中康弘さんの完熟南高梅と黄金糖だけで作っています。

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写真:中野扇

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現地に到着すると、辺り一面、南高梅だらけ。
そして、ちょうど完熟の時期を狙ってお伺いしたので
もはや、桃園かと思えるような香りがどこを歩いてもしてきます。
まさに、天然のアロマ。
ちなみに、
なんこうばい。と僕たちは呼んでいますが
現地では なんこううめ。と呼ばれていました。

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薄緑色の綺麗な若梅が木になったまま完熟を迎え黄色くなり、
太陽を浴びた部分は綺麗な赤に日焼けして
この、色バランスに囲まれているだけで幸せな気持ちになります。

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日をたっぷり浴びた
赤い部分が多い梅のほうが、良い南高梅とされています。

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やすひろ農園さんの土壌は微生物がたっぷりと住む
良質な土壌。

思わず、何枚も写真を撮ってしまいます。。。

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青いネットが地面に敷いてあり、そこに
完熟を迎え落下した南高梅が!

自然に落下したものを落下してすぐに収穫しています。
数秒に1回のペースで、
ドッ! ドッ! と梅が落ちる音が聞こえてきます。
その音を聞くと、一粒が軽くないことがわかります。
近しい環境で育った梅たちは
落ちるタイミングも近しいわけで、
この時期は、落ちる落ちる。


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当時4歳の長男もこの光景には目を輝かせて楽しんでいました。

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この赤! 何度も言いますが、香りは本当に桃ですね。

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南高梅の香りが良すぎて、
次男は熟睡しておりました。。

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一気に落下するこの収穫時期は、
どこの南高梅農家さんも家族総出で作業されるそうです。
本当に、ずっと落ち続けてますもん。

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この南高梅がどんな味わいの一品になるのか?
もう少し大きくなったら、子供達に教えたいと思います。

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半分以上が赤いまん丸の完熟南高梅は夕日のごとしです。

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優しく収穫された完熟南高梅。

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青いネットの下には藁なども敷いてあるので、ちょうど良いクッションになっていて梅が傷つきません。
2016年の南高梅は3月に降った雹(ヒョウ)の影響で
少々跡がついてしまったようですが、品質状態は問題ないようです。
その跡がまた自然の脅威や儚さを感じさせてくれるので
いいではないですか!

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太陽の光を存分に浴びて南高梅の成長に大活躍した葉もまた
影の主役。

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寒さが続くと完熟するのが遅くなって、実が堅くなってしまうそう。
実の数が少ない時もまた、一粒が大きくなって堅くなってしまう。
南高梅は皮が薄いというところも商品価値のひとつ。

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熟す前の青い若い梅もまた力強さを感じます。

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トラックに積み込むところまで人力です。

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この梅のおかげで、酢飯屋の自家製ジュースのラインナップが
ビシッとしまります!

田中さん、いつも美味しい南高梅をありがとうございます!


以下は梅のまとめです。

【梅の起源】
梅が持つ強い防腐作用と解毒効果が
終戦直後の日本人を疫病や食中毒から救ったと言われています。
その代表が『梅干し』。

バラ科サクラ属スモモ亜属の【うめ・ウメ・梅】。
東アジアを中心に広く栽培されている果実。
アンズやスモモは梅の近縁種。

原産地は中国四川省から湖北省一帯と言われている。

栽培起源は5000年前。
野生種か栽培品種が野生化したものかの特定が非常に難しいとのこと。

日本への伝来は、弥生時代??
とされていますが
奈良時代に呉(中国)から渡来した僧侶が、
欽明-きんめい-天皇(539〜571年)へ献上したものの中に
梅樹があったことが確認されている。

その後、京都や奈良などの近畿地方を中心に栽培が始まり、
神社仏閣や庭園の樹木として全国に広がった。

梅の語源は
遣唐使(630〜894年)が日本に持ち帰った、
未熟な青梅の核を取り除き、燻乾させてつくる
『烏梅-うばい-』という中国漢方。

平安時代中期までは
日本の花といえば『梅』とされていた。
『万葉集』や『古今和歌集』でも多く詠まれていた。

鎌倉時代にかけて全国的に梅から桜へと植え替えられた。

京都御所の紫宸殿(ししんでん)前庭にあった
『右近の梅』も、961年に桜に植え替えられたことが
『古事談』に記述されている。

この酢飯屋のブログ記事もまた、
いつかの時に、誰かにこうしてみていただけるかと思うと、
記録を残しておくことは悪くないなと思う。 酢飯屋 岡田大介

鎌倉時代から
観賞用の『花梅』と果実を味わう『実梅』に大別されるようになり、
『梅干し』もつくられ始めた。

梅干しの強い殺菌作用と優れた保存性から全国に広まっていった。

現存する日本最古の梅干しは
室町時代の薬草漬け梅干し。

梅干しに赤紫蘇(あかじそ)を加えて着色するようになったのは、
江戸時代の元禄年間(1688〜1703年)とされている。

江戸末期天保年間に浜口末次郎が販売用梅干しの製造を始める。

明治元年に片山六太夫が南部川村井出川原片山に梅を植える。

明治25年ごろ、日高郡、有田郡で梅栽培が一般化する。

明治34年 内中源蔵が、熊岡で梅畑を開墾し、梅干し加工場を設ける。

大正時代 梅干し製造の兼業農家が増え、南部町・田辺町で梅干商組合ができる。
昭和初期 小山貞一が高田貞楠より南高梅の第一歩となる穂木を譲り受ける。

昭和中期 優良品種の高田梅が〈南高〉として農林省に種苗名称登録される。

昭和48年 南部川村に全国初の『うめ課』が設置される。

平成4年  申年の梅。 申年の梅は薬になると伝えられている。 


【梅の日本での普及】
日本の梅の生産量の6割を占めるのが
和歌山県日高郡みなべ町(旧 南部川村)。
まさにやすひろ農園さんの地域。

この紀州南部地方は稲作に不向きな土地が多く、
農家の人々は年貢に苦しんでいたそうです。
そこに、
紀州田辺藩 藩主 安藤直次(あんどうなおつぐ)さんが、
藩内に自生する『やぶ梅』に着目し、
やせた土地や山の傾斜地に植えるように奨励することで
年貢を米から梅へ代える対策を講じ、見事成功。

こういう目線が今の日本にも必要ですよね。

以降、田辺藩では梅栽培が盛んになり
『紀伊田辺産』と焼印した樽に詰め込まれた梅干しが
江戸市中に送られていた。

明治35年、
旧南部川村 晩稲(おしね)集落の内中源蔵さんが
山林を開拓し、梅の苗木を植えたことから
今の梅林が形成された。(内中梅)

同時期に同集落の高田貞楠さんにより
内中梅の実生苗(種から育成した苗木)から
大果で収量性の高い個体が発見され、
(高田梅)が選抜された。
これは、門外不出の品種とされていたが、
昭和6年に小山貞一さんに継承された。
その後、
南部川村の上南部農協組合長であった谷本勘蔵さんらと
梅の優良品種を選抜する『梅優良母樹調査選定委員会』を設立。
1950〜54年にかけて
『白玉』、『改良内田』、『高田』、『古城-こじろ-』など
全7系統が選抜された。
特に、南部川村の気候風土に適していた『高田』は、
最優秀品種に何度も選ばれていた。

選定委員長には南部高校 園芸科 教諭の竹中勝太郎さんが参加していたことから、同校生徒も積極的に加わり、地道な調査研究の成果が評価された。

よって、南部高校の頭文字をとって
高田梅は『南高梅-なんこううめ-』として、登録された。

こうして、地域住民の強い団結心があったからこそ、
日本に誇る南高梅が生まれた。

南部川村は恵まれた地質にあり、
梅林の大部分は新世代初期に形成された音無川層群瓜溪累層にある。
瓜溪累層の石は、陸地から泥が海へ運ばれ、海底に堆積した泥岩であり、
黒くもろい性質を持つ。
炭酸カルシウムを多く含み、
梅の生育にとって最適な、中性質土壌(微酸性・6.0PH)を形成しているため
日本の一大産地となった。

梅の木は植えて3年目から実をつけ始める。
木の寿命は40年ほど。
25年目くらいが一番良い仕事をする木が多いという。
とはいえ、木にも個性があるのでそれぞれ違うでしょうから
個性を見抜くのが梅農家さんの技。

梅の花は白。

梅は剪定すればするほど良いという意見も。

梅栽培ではりんご栽培などのように、
色つきを良くするために葉をとることはしない。
色よりも、味わいを重視するので
葉をできるだけ残し、光合成をさせることによって糖度を上げる。


【梅の種類】

〈南高梅(熟果)〉
和歌山県みなべ町(旧 南部川村)の高田貞楠さんが登録。
地元の南部高校に因んで命名。
元は〈高田梅〉と呼んでいた。 ※詳しくは上記(梅の起源)に。
自家不結実性であるため、受粉樹との混植が必要。
収量性は高い。
収穫は中生(なかて)、完熟に伴い生理的落果により収穫する。
青梅の場合は手もぎで行う。
果形は、短楕円。
果実重は、30〜40g とやや大玉。
果皮の地色は淡黄緑色で、陽光面が赤く色づく。
肉質は緻密で滑らか。
梅干しに最も適する。
紫蘇漬けや蜂蜜漬けにも。


〈紅南高梅〉
南高梅の中でも、特に陽光面が赤く色づいたもの。
黄色く完熟し、甘い香りを持つ。


〈梅郷-ばいごう-〉
東京都青梅市の吉野農協が開設したウメ試験場敷地内に
偶発実生した原木に由来する。
親樹は不明。
自家不結実性であるため、受粉樹との混植が必要。
豊産性に富み、生理的落果も少ない。
収穫期は晩生、果形は短楕円。
果実重は25gと中玉。
肉質は厚く緻密であり、梅干しや梅酒の原料に適する。


〈白加賀-しらかが-〉
江戸時代から〈加賀白梅〉として栽培されてきた品種。
歴史は古く、日本各地で同名異種の系統を持つ。
耐寒性が強く、群馬県以北で多く栽培される。
自家不結実性であるため、受粉樹との混植が必要。
豊産性に富むが、生理的落果が多い。
収穫期は中生、果形は短楕円。
果実重は30gと中玉。
肉質はキメ細かく、繊維が少ない。
梅干しにするほか、多汁性に富んでいることから
梅酒の原料に適する。


〈古城-ごじろ-〉
和歌山県田辺市(旧 長野村)の那須政右エ門さんが発見した品種。
親樹は不明。
花芽とも多いが、自家不結実性であるため受粉樹との混植が必要。
収量性は高い。
収穫期は晩生、果形は円〜楕円と整っていて美しい。
果実重は、30gと中玉。
肉質は緻密に硬く、梅干しに用いるよりも
青梅の甘露煮に適する。


〈甲州最小-こうしゅうさいしょう-〉
大正6年、奈良県の旅館先で発見され
恩田鉄弥さんによって園芸試験場に導入された。
親樹は不明。
甲州と名前にあるが、山梨県原産ではなく
〈白加賀〉の受粉樹として各地に広がった。
収穫期は早生、果形は果頂部が狭く、
わずかに尖がるぎぼし型。
果実重は4gと小さく、陽光面が赤く色づく。
果肉は緻密で、繊維が少ない。
梅干し用の小梅として極めて優秀。


〈豊後-ぶんご-〉
梅とアンズの雑種。
古くは〈肥後梅〉や〈越中梅〉と呼ばれた品種群のこと。
耐寒性に強く、東北地方などでもよく結着することから、
長野県や青森県など寒冷地帯で多く栽培されている。
収穫期は晩生、果形は円〜短楕円。
果実重は50〜60gと大玉でアンズに似ている。
肉質は粗く、土用干しする梅干し原料には
あまり優れない。


〈竜峡小梅-りゅうきょうこうめ-〉
大正12年、長野県松川村の大栗重寿さんが
〈山及田小梅〉の枝変わりとして発見。
長野県農試で優秀性が認められ選抜。
収穫期は早生、果形は円〜短楕円。
果実重は5gと小さいが、自家結実性が高いため、農産性に富む。
果肉が厚く、核が小さいのが特徴。
カリカリ梅に多く用いられるほか、果実酒の原料に適する。


〈五ヶ所小梅-ごかしょこうめ-〉
三重県(旧 南勢町)にある樹齢200年の梅枯樹から苗木育成。
三重県の伝統農産物に指定。
収穫期は早生、果形は円〜短楕円。
果実重は8gとやや小さめ。
豊産性に富み、収穫後、黄色く追熟してから梅干しに用いる。
酸味が強いため梅干しの発色が優れ、肉質がキメ細かいため
幻の小梅と称される。


【梅酢】
梅に塩が浸透することで表れる漬け汁のこと。
強い酸味は梅から溶解したクエン酸であり、
梅干し本体よりも酸味が強い。
赤梅酢は紫蘇漬けしたもの。
白梅酢は紫蘇なしのもの。
赤紫蘇の色素はアントシアン(シソニン)であり、
強い酸によって鮮紅色になる。
この性質を活かし、梅干しの紫蘇漬けは色鮮やかに仕上がる。


【梅エキス】
青梅をすりつぶし、果汁のみをじっくりと煮詰めたもの。
青梅1kgから15g程度しか仕上がらないため貴重なもの。
そのままか、お湯で薄めて飲用する。


【熟度と梅干し】
梅干しには、
硬化梅干(カリカリ梅)と
軟化梅干(完熟)がある。
どちらのタイプにするかで必要な原料梅の熟度が変わってくる。

硬化タイプの場合、未熟の青梅を原料とし、消石炭0.5%液に一晩漬け込むことで、成熟に伴う果肉中のペクチン可溶化を防ぎ、カリカリのものをつくっている。その後、硫酸カルシウムを添加した塩水に漬け込む。

軟化タイプの場合、青梅よりも完熟梅のほうが適している。

和歌山県みなべ町で生産・加工される梅干しは、完熟南高梅を原料とした
軟化タイプ。
南高梅は完熟落果したものが主に出荷される。
最高級とされる紀州南高梅は、とくに果肉が厚く、果皮が薄いものが良好とされるため、完熟にこだわっている。

果実の硬さは、おもにセルロースやペクチン物質から構成する細胞壁の厚さや強さ、細胞同士の接着強度によって大きく左右される。
成熟が後期段階になると、
ペクチン分解酵素の含有量が急激に上昇し、ペクチンが分解されることで果肉は軟化することになる。

南高梅は完熟果を用いて梅干し加工しているため、
滑らかで肉離れの良い梅干しとなる。

梅干しには強い防腐作用がある。
これは果肉中に含まれるアミグダリンが、
酵素アミグダラーゼによってマンデル酸ニトリルに変化し、
さらに、酵素プルナーゼによりベンズアルデヒド青酸を合成する。
ベンズアルデヒドは芳香性物質であり、酵素と接触することで酸化し、
強い防腐作用を持つb安息香酸になる。
これが梅干しには殺菌効果と解毒効果があるとされる理由。

日の丸弁当のように白飯中央に梅干しを置くことで、
ベンズアルデヒドが容器内に充満し、
惣菜やご飯を腐りにくくしている。


【調理する技】
梅の果実中に含まれる有機酸は、
主に、クエン酸、リンゴ酸、シュウ酸で、
約4〜5%の濃度で存在している。
そのため、酸度は約PH2.5とされ、極めて酸味の強い果実。
なかでもクエン酸は、動物性タンパク質を柔らかくするため、
この特性を煮物などに利用することが多い。
例えば、アワビなどの弾力の強い貝類は、
コラーゲン繊維の結合が強く、生食ではコリコリとした硬い食感を持つ。
それを、加熱すると、コラーゲン(総タンパク質の約30%)は
タンパク質熱変性を起こし、ゼラチンへと変化するので
アワビの旨煮などは柔らかくて美味い。
が、長時間加熱すると旨み成分と肉汁が溶け出してしまう。
そこで、アワビの煮汁に酸性の強い梅干しや梅酢を加えることで、
コラーゲン繊維の結合がゆるみ、ゼラチンへの変性が早くなるため、
早く柔らかく煮ることができる。
よって、旨みの流出を最小限に抑えることができる。


【酢飯屋の南高梅ジュース】のレシピ
(材料)
完熟南高梅 2 : 黄金糖 1

梅が届いたらすぐに冷凍庫へ。
一度凍らせた南高梅を水洗いしながら解凍。
以降は、自然に溶かしながらヘタを取る。
(この時に出た水分(梅のまわりに凍りついていた水分)は、腐敗の原因になるので処分する。)
完全解凍されたら種を取る。
種をとった身は、ザルで漉して果肉と果汁に分ける。
この果肉と果汁を合わせたものの総量に対して
半分の量の黄金糖を合わせる。
果肉をミキサーにかけ、黄金糖を加え、果汁を加え
全部を混ぜて完成。
気温、室温にもよりますが、
2,3日ほど常温で自然発酵させてから冷蔵庫へ。
泡がぶくぶく自然発砲の梅ジュースが出来たら理想的です。
コワい方は、すぐに冷蔵庫でも美味しくいただけます。
あとは、
炭酸で割ったり、お湯で割ったり。
ジャムとして使用したり、ドレッシングのアクセントにしたり。
完成品を密封袋に入れて冷凍保存しておいてもOKです。

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写真:中野扇