向田の火祭2025(石川県七尾市能登島)
[石川県]
2025年7月26日(土)
石川県七尾市能登島向田町(ななおし のとじま こうだまち)
「向田の火祭(こうだのひまつり)」は能登島向田町に鎮座する伊夜比咩神社(いやひめじんじゃ )の夏祭で、
毎年7月の最終土曜日に行われます。
古来、オスズミ祭と呼ばれ納涼祭の文字があてられ、近年では「向田の火祭」と呼ばれ
石川県指定無形民族文化財に指定されています。
約30メートルの松明(たいまつ)の大きさから日本三大火祭のひとつに数えられています。
伊夜比咩神社から神輿(みこし)や奉燈(ほうとう)を崎山広場に担ぎ出し、
設置された巨大な柱松明の周りを7周練り歩きます。
その後、住民はそれぞれ手に持った手松明を振りながら周回し、号令で柱松明に投げつけます。
柱松明は巨大な火焔(ほのお)の柱と化し、
四方に張りわたしたハイヅナが切れると柱松明が轟音(ごうおん)を立てて倒壊、
倒れた方向によって、豊漁、豊作を占います。
柱松明の先につけられている御幣(ごへい)を取ったものは延命息災が叶うと言われています。
往昔(おうせき)、向田は製塩業が盛んで御収納米が納められない年には代わりに塩を納め、
野崎の御蔵へ運んだほどでした。
ある年、塩焼きの柴(しば)がたくさん余ったので燃やして若衆の娯楽にしたのがこの行事の始まりだという説もあります。
火祭の由来や起源については記録が少なく明らかにはなっていませんが、
能登島は樹木が繁茂し、火祭を行うに至便な地であり、
かつ人員に不足のない大村であった向田の土地柄に基づく行事だと考えられています。
元は清浄を重んずる神田(現:向田)の地にて向田の人々が伊夜比咩神社の夏越神事を脈々と受け継いできた伝統的神事です。
祭り前日の崎山広場
こちらが約30メートルの巨大な柱松明(はしらたいまつ)です。
このような構造になっています。
四方に張りわたしたハイヅナの一本
柱松明は、八方からサシドラ(木)で支えられています。
柱松明の下部は、向田在住の皆さんが山で刈って柴を束ねたものが、ぐるりと一周、折重ねられています。
僕たちが5月に山で柴刈りしてきたものも組み込んでいただいています。
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柴刈り、柴作りの様子はこちらからどうぞ。
http://www.sumeshiya.com/blog/2023/12/post-7359.html
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19時30分
伊夜比咩神社(いやひめじんじゃ )
宮前で演奏が始まりました。
能登島向田町在住の小学生・中学生を中心とした子供組の囃子方(ハヤシカタ)。
笛や太鼓で祭りを盛り上げます。
練習の成果を感じる、迫力、団結力に心打たれました。
向田地区に古くから伝わる「雨乞い太鼓(あまごいだいこ)」。
奉燈(ほうとう)に乗せた和太鼓を二人で叩きます。
世代によって響きが異なり、それぞれに味わい深い音色を奏でます。
2025年 記録的な猛暑と水不足で田んぼもひび割れていました。
どうか恵みの雨をお願いいたします。
伊夜比咩神社 向田火祭保存会法被(はっぴ)
向田の火祭Tシャツ2025
御神輿(おみこし)
向田の火祭の歴史と生活史についてお話してくださった高橋正浩(たかはしまさひろ)さん
20時
火祭神事が執り行われ、お神輿が御宮から飛び出してきました。
勢いよく、グワんグワんと縦横無尽に神輿を担ぎ動かしながら、崎山広場に向かって先頭を進み始めます。
それに続いて、五基の奉燈(サキドラ・カマヒバシ・シンドラ・ハヤシカタ・アトドラ)が
宮前から崎山広場に曳かれていきます。
曳いている間は、お囃子と掛け声は休むことなく続けます。
崎山広場までの道中、田んぼの脇には子供たちの願いが飾られていました。
途中、少しずつ休憩しながらゆっくりと進みます。
子供たちへの水分補給役を買って出ました。
スイカバーを食べるチヨちゃんを発見!
タコ漁師のたこ焼き
平山泰之さんがキッチンカーを出店していました。
いよいよ崎山広場に到着!
写真では大きさが伝わりづらいのですが
広場の中央に、約30メートルの巨大な柱松明(はしらたいまつ)。
今回は住民以外の一般枠にて、奉燈曳き、広場の中での手松明(てたいまつ)にも参加させていただけることになっています。
2000人を超える方々が、広場の周りをぐるりと一周囲んで火祭を見に来ています。
灯りが揺れ、幻想的な美しさを放っています。
巨大な柱松明の周りを7周練り歩き、奉燈を広場の外へ出し、一旦休憩。
水分をたっぷり摂っているものの、大きな声を出し続けながら奉燈を曳いているので
この時点で汗ダラダラ、喉はガラガラです。
21時
奉燈が火祭センター前に戻ると、置き松明に火をつけ、
手松明へ移します。
手松明を受け取りに行きます。
焚き火というよりは、キャンプファイヤーほどの置き松明から手松明に火を移します。
ちなみに物凄い熱気です。
10秒以上いたら火傷しそうな熱さです。
手松明の先端に火が移りました。
これをおよそ200人ほどの人が、ぐるんぐるん振り回しながら、柱松明の周りを歩き回ります。
焼け落ちてくる柴の枝が頭や首、腕に落ちてきてあちこち焼けます。。^^;
松明からの煙と、大勢が歩く地面からの砂埃が混ざり合って、視界が悪くなってきました。
するとここで、壮年団より点火の号令が!
皆で一斉に手松明を柱松明の根柴(ねしば)に投げ込みます。
一気に燃え上がる柱松明。
柱松明は、火の粉を激しく舞い上げ、広場全体を明るく熱く高く燃え上がっていきます。
10分ほど燃えた頃でしょうか、轟音を立てて柱松明が倒壊しました。
海側に倒れれば豊漁、山側に倒れれば豊作。
2025年は海側に倒れました。
倒壊直後、男衆が集まり燃え上がる炎の中から、大木とサシドラ(大木を支える柱)に
藁を捻って作った綱を巻きつけ、「エッサ、ホイサ」の掛け声とともに柱を引き摺り出します。
一般参加でさえも、この達成感。
そして感動の連続。
向田の住民の皆様の想いは、きっとその何倍もあるのでしょう。
御神輿と奉燈を神社まで帰還させる際も、お囃子と掛け声はずっと続けます。
一連の流れを動画にまとめましたので是非ご覧ください。
火祭の帰り道、満天の星空を見上げながら歩いていると
まだまだ、もくもくと上がる煙が見えました。
朝まで火の番をする方々がいるそうです。
翌朝、崎山広場に行くと、まだ煙が残っていました。
火の番の方々に感謝を伝え、2025年の向田の火祭を無事に終えることができました。
ありがとうございました。
向田の火祭 見学ガイド
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