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花園神社(はなぞのじんじゃ)

[神社仏閣]

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東京都新宿区

【御祭神】
倉稲魂神(うがのみたまのかみ)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
受持神(うけもちのかみ)

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【由緒】
花園神社は古来新宿の総鎮守として
内藤新宿に於ける最も重要な位置を占め来たった神社です。
徳川氏武蔵国入国以前の御鎮座にして大和国吉野山より御勧請(おうつし)せられたと伝えられています。
寛永年中以前の社地は現在の株式会社伊勢丹の地域にあり、
東西六十五間、南北七十五間に亘った地域でした。
朝倉筑後守此の地に下屋敷を拝領されるに及び、
神社をも下屋敷の内に囲い込まれたので
その由を御訴えに及び現在の社地を代地に拝領したと伝えられています。

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【花園神社の唐獅子像(からじしぞう)】
所在地:東京都新宿区新宿五丁目十七番三号
新宿区指定有形文化財(彫刻)です。※指定年月日:昭和五十九年十一月五日

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文政四年(1821)に造立された雌雄一対(しゆういっつい)の唐獅子像です。
内藤新宿の氏子たちにより奉納されたもので、
台座には発願者・援助者・世話人等の名が刻まれています。
像高75cm、台座高137cm。
彫工 佐脇主馬(ちょうこう さわきかずま)の製作した原型により、
鋳工 村田整珉(ちゅうこう むらたせいみん)(初代)が鋳造したもので、
注連縄(しめなわ)が浮彫された台座は
石工 本橋吉平衛(いしく もとはしきちべえ)の手になるものです。
頭部は4つの部分(上頭部・顔・後頭部・たてがみ)に分けて鋳造し、
身体も胴から後足、前足、尾の3つの部分をそれぞれ左右に分けて鋳造したものを
接合して製作されています。

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【江戸・東京の農業 内藤トウガラシとカボチャ】
新宿御苑は江戸時代、高遠藩主内藤家の下屋敷でした。
当時、武家では屋敷内の畑で、野菜などを栽培し自給する習わしが一般的で、
内藤家でも野菜を栽培していましたが、中でも肥沃な土に適したトウガラシがよくでき、
『内藤トウガラシ』と呼ばれて評判となり、新宿付近で盛んに作られるようになりました。

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『新編武蔵風土記稿』(1828)には、
「四ツ谷内藤宿及び其辺の村々にて作る、世に内藤蕃椒(とうがらし)と呼べり」とあり、
当時は新宿周辺から大久保にかけての畑は、トウガラシで真っ赤になるほどであったと言われています。
新大久保のコリアンタウンに積まれているトウガラシを見ると
何か繋がり、ご縁を感じるものがありますね。
このトウガラシは八房といって、実が房のように集まって付き、
しかも上を向いて葉の上に出るような形になるため、
熟すと畑一面が真っ赤に見えたそうです。
保存のできる調味食品として、庶民に喜ばれましたが、
明治に入ると都市化により栽培も激減し、産地も西の方に移っていきました。
この地域ではカボチャの栽培も盛んで、『内藤カボチャ』とか『淀橋カボチャ』とも言われていました。
内藤とうがらしも、内藤かぼちゃもどんな味なのか非常に興味ありますね。
どこかで手に入るようでしたら、ぜひ教えてください!

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【花園神社】
住所:東京都新宿区新宿5-17-3
ホームページ:http://www.hanazono-jinja.or.jp/mt/cms/webdir/index.html