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NewsCrunch(ニュースクランチ)/ WANI BOOKS(ワニブックス)

[すし・sushiメディア岡田イズム生き物]

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2022年8月13日 ・14日の2回に分けて
僕の半生や今の活動などについて
ワニブックスのニュースクランチ編集部さんが
記事にまとめてくださいました。
文:粟野亜美さん


【すし作家・岡田大介。リンゴの皮もむけなかったレベルから完全紹介制寿司屋の店主へ】
https://wanibooks-newscrunch.com/articles/-/3365

【本物を見つけるために全国各地の漁港へ。話題のすし作家・岡田大介の生き様】
https://wanibooks-newscrunch.com/articles/-/3367


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以下掲載内容です。

Fun Work ~好きなことを仕事に~ <すし作家・岡田大介(前編)>
東京にあるユニークな寿司屋『酢飯屋』の店主・岡田大介。
自らを"すし作家"と称し、写真絵本を発表するなど、
まさに好きを仕事にして広げている彼に話を聞いた。

東京・文京区にユニークな寿司屋がある。
その店は完全紹介制で、普通では出てこないネタや、
郷土寿司などからヒントを得た創作寿司などが味わえるだけでなく、
使われた食材の背景や、それにまつわる蘊蓄を知ることができ、
この店でしか味わえない寿司体験ができると評判だ。

その店の名は『酢飯屋』。
店主・岡田大介は自らを"すし作家"と称し、今や活動の幅は多岐に渡る。
2021年には子ども向けの写真絵本『おすしやさんにいらっしゃい!』を出版。
第69回産経児童出版文化賞 準大賞(JR賞)
第68回青少年読書感想文全国コンクール課題図書
第27回日本絵本賞
を受賞10万部を超える異例のヒットとなっている。

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▲子どもと魚のイベントの模様


パワフルに活動する彼の活動の原動力となっているものは一体なんなのか。
寿司職人の世界に入った経緯を振り返りつつ、
現在のさまざまな活動についても語ってもらった。

〈どれが"アジ"かわからないレベルで寿司職人の道へ〉
――料理の道に進もうと思ったところから聞かせてもらえますか?

岡田大介(以下、岡田) 料理の世界に入ったのが18歳のとき。
子どもの頃から料理が好きだったわけでもなんでもなくて、母の死がキッカケでした。

子どもの頃の僕は、通知表も5段階のオール3みたいなタイプ。
とくに得意もなければ、不得意もあんまりない。
中学・高校はバスケットをずっとやってましたけど、
それで食べていこうなんて思っていなかったし、
ぼんやり「大学に行ってサラリーマンになろう」と思っていました。

でも、大学受験の浪人中だった18歳のときに母親が急逝したんです。
それで家の中でご飯を作る人がいなくなってしまって。
当時、妹と弟はまだ小学生。
母親を失った傷も癒えないまま、食事も誰も作れない。
それで仕方なく買い食いしまくってしまう。
そんな生活をしているうちに弟が体調を壊してしまったんです。

「なにをしに行くかわからないのに大学に行くのであれば、
自分にしかできないことをやるべきなのでは......。
だいたい、ご飯も作れないって、人としてどうなの?」と気づいて。
家族のために毎日作るなら和食と考えて、地元の寿司割烹店の門戸を叩きました。

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▲修行時代の写真

――そのお店に入った段階で、岡田さんの料理の腕前はどれぐらいでしたか?

岡田 リンゴの皮をむけないし、キャベツの千切りもできない。
魚もどれがアジなのかわからない。そんなレベルでした。
店側は、人材はつねに募集中だったので、もちろん下働きからですが、
技術は全然なくても受け入れていただけました。

でも、入るときに「食の道を進むんだ」と腹をくくったんです。
それはなぜなら、母親からのメッセージだと思ったので。
僕が将来、何をしたいかわからないというような学生だったので、
母が「あなたは食で行きなさい」と言っているんだろうなと。
そうでもしないと、
母の死をうまく受け入れることができなかった、というのもあったんですけどね。

――決意はあっても、技術はない。
そんな状況からのスタートでしたが、修業はどうでしたか?

岡田 技術や知識はないけれど、もともと人とのコミュニケーションは得意でしたので、
子どもの頃から敵をあまりつくらないタイプで。
めちゃくちゃコワイ先輩方がいたんですけど、みんなとうまく接することができました。 

修業の大変さはもちろんありましたけど、
それ以上に、毎日一日を過ごすと、何かしら必ず学びがあるんです。
リンゴの皮をむけないぐらいのゼロの状態だったので、まさにスポンジ状態。
技術も知識もみるみる吸収し、できることがどんどん増えて上達していくばかりでした。

当時、同世代の料理人はあまりやっていなかったようですが、
先輩たちに技術が追いつかないぶん、
教わったことをノートにまとめたり、メモを取ったりしていました。
夜、家に戻ったらそのノートを見て、朝にもう一度見直して。
そのまま仕事で、その知識や技術を実地で繰り返して。
自分が成長しているのが手に取るようにわかる経験は、
学生時代にはなかなか得られなかったので、毎日が楽しかったです。

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▲修行時代の岡田氏


〈トップクラスの寿司職人の所作は伝統芸能〉

――そんな日々のなかで「和食」ではなく、「寿司」でいこうと思ったのは、
いつごろなんですか?

岡田 修業に入って2年目ぐらいのときに、
寿司職人の先輩の1人で、普段は東京の寿司屋で働いている人がいたんです。
その方が「芽を潰さないうちに、東京でやったほうがいいよ」と言ってくださった。
それで行った先というのが、ガチガチの江戸前寿司のお店で。
より専門的に「寿司」という世界に踏み込んだ瞬間でした。

――18歳で修行の店に入り、20歳前後で東京のお店に移ったわけですか?

岡田 そうです。それまで経験したことはゼロではなかったれけど、
1割ぐらいでしかなく、また新たなスタートになりました。

結局、その店に4年間いたんですけど、その店で学んだいちばんのことは
「これ以上の人はないな」と思うぐらい、寿司でトップレベルの先輩が1人いたこと。
とにかくすごい人で、この業界でいろんな人を見てきましたが、
その人を超えるような技術とスピードを持っている人は未だ見たことがありません。

マンガに出てくるような角刈りをしている大将なんですけど(笑)。
圧倒的な技術、そして美しい所作。
その人と仕事をすればするほど「これは数年では無理だな」ということもわかってきて。
業界に入ったばかりの頃は、自信がどんどんついていく日々でしたが、
この時期は逆に自信がなくなるというか。
「自分では、この人みたいになれないだろうな」と思うくらいになっていました。

でも、そういう高い水準の中に自分の身を置いて、
きついけど、そのなかで一生懸命もがいたことが成長につながったのかなと思います。

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▲修行時代の岡田氏


――寿司職人の一連の所作って、本当に見とれてしまいますよね。

岡田 当時、スマホがあったら撮っておきたかったです(笑)。
寿司職人の所作は、ずっと見ていられるぐらいに美しい。
その方のカウンターの前は常に人気で、みんながそこに座りたがる特等席でした。
そう考えると、寿司職人の所作は、もはや伝統芸能なんじゃないかと思いました。
それを目の前で見られて、しかも食べられる。こんなすごいことはないですよね。


〈寿司は魚と酢飯が対等でなければならない〉

――そこから独立を考えるに至った経緯は?

岡田 続けているうちに、「いつか一人前になって独立したい」と思いますよね。
でも、"一人前の定義"とはなんだろうと考えたんです。
それでいろんな先輩に聞いて回ったところ、1つは技術面。
こんなことができたら一人前だ、と。
そしてもう1つは金銭面。
寿司職人として家族を養っていけるようになれば一人前だ、と。
そして、最後にみなさん「一生修業だよ」と仰る。
いろいろ聞いたうえで、抽象的な定義だと独立に向かえないので
「自分で一人前の定義を具体的に決めよう」と思ったんです。

それで、まずは食材がなきゃ仕事にならないので、
その食材を買ってくるなり、釣ってくるなり、自分のお金で手に入れて、
それを食べられるように調理できること。
そして、それを食べてくれるお客様を自分の力で呼べるようになること。
そして、食べてくださった方がおいしかったよとお金を払ってくださる。
ここまでの全工程を一人でできたら、ひとまず一人前だろうと決めたんです。

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▲自ら海に出ることも少なくない


働いていた店は、土日が休みの店だったので、
週末は友達と集まってホームパーティをすることもあったんですが、
そういうときに会費を集めて僕が食材を集めて用意し、
寿司を作るというようなパーティーにしていました。

最初は3~4人でやっていたんですけど、
「3,000円で食べられるなら」と人が人を呼んで、
そのうち十数人での寿司パーティーをするようになってきて。
そのあたりで、
「自分で仕入れたもので、目の前の人に『おいしかった』と喜んでいただけている」
と思うようになっていきました。

それで独立に踏み切り、完全紹介制の『酢飯屋』をひとまず自宅でオープンしたんです。24歳のときでした。

――お店の名前を『酢飯屋』にしたのは、どんな意図をこめたんでしょうか?

岡田 僕が酢飯が好きだということがまず1つ。
それと、このお寿司に合う日本酒はなんですか?
となったとき、マグロに合う日本酒とイカに合う日本酒は違う。
それと同じで、マグロに合う酢飯と、イカに合う酢飯は違うんじゃないかと気づき、
魚ごとに酢飯が違っても面白いんじゃないかなと思ったんです。

それでたくさんの酢飯のレシピを作るようになったんですが、
1日に何種類も作るのは、いざやってみるとめちゃくちゃ大変で。
だから、みんながやらないのかとあとから気づきました(笑)。

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▲「酢飯屋」開店当時


ネタによって酢飯を変えているお店は2~3種が多いかなと思うんですけど、
それ以上出しているところはあまり見たことがなかったので、
それもひとつの差別化になるだろうなと考えました。
東京のお寿司屋さんは数も多いし、自分みたいな若造が始めるとなったとき、
何か特徴がないと面白くないですよね。
そういうのも含めて『酢飯屋』というのがちょうどよかったんです。

――差別化、つまりは「個性」を際立たせるということだと思いますが、
軸を持つ、それに気づけたのはなぜだと思いますか?

岡田 魚と酢飯で寿司はできあがっていますが、一般的には魚が優位の食べ物です。
でも、僕の中では対等に思っているんです。
魚と酢飯が、どちらもおいしいことで寿司が成立しています。

うちの酢飯は味を薄くしてあるんです。
なぜかというと、魚の味も感じてほしいし、同じくらい「お米」の味も感じてほしいから。
そうなったときに、酸味が立ち過ぎていたりすると味が感じにくいんです。
お米の味を感じてほしいというのは、店名をつけたときから思っていました。

≫≫≫ 明日公開の後編へ続く


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〈本物を見つけるために全国各地の漁港へ。話題のすし作家・岡田大介の生き様〉
Fun Work ~好きなことを仕事に~ <すし作家・岡田大介(後編)>
写真絵本が異例の10万部突破!
話題のすし作家・岡田大介に寿司、食材、そして魚にとって欠かせない
「海」への向き合い方、好きなことを仕事にすることへの思いを聞いた。

ユニークなお寿司屋として、さまざまなメディアで話題となっている『酢飯屋』。
この店の店主・岡田大介は、自らを"すし作家"と称し、
2021年には子ども向けの写真絵本『おすしやさんにいらっしゃい!』を出版し、
第27回日本絵本賞を受賞。
10万部を超える異例のヒットを記録するなど、寿司の枠に囚われない活動を続けている。

そもそも、リンゴもむけない、どの魚がアジかもわからないところから、
寿司への情熱によってここまでたどり着いた岡田。
まさに好きなことを仕事にしている、という言葉にふさわしいが、
酢飯屋開店後も、紆余曲折を経て現在のスタイルのたどり着いたという。

寿司、食材、そして魚にとって欠かせない「海」への向き合い方、
そして好きなことを仕事にすることへの思いを聞いた。

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〈日本全国の漁港へ足を運び「食材魂」に気づく〉

――『酢飯屋』をオープンさせ、自分のスタイルが確立したなと思ったのは、
お店を始めてどのくらい経ってからでしたか?

岡田大介(以下、岡田) 開店当初は、お酒の持ち込みを無料にしていたんです。
それだと利益は出ないんですけど、僕も当時お酒に詳しくなかったので、
2年間は勉強の期間と思って、
お客様にお寿司に合う日本酒などを教えていただくような気持ちでいました。

自分の中で確立したなと思ったのは
「市場で魚を仕入れずに寿司屋ができるのか挑戦しよう」となったタイミングだったと思います。
それまでは買う買わないは関係なく、毎日、築地に行ってました。
魚の旬とか、特徴とかはいろいろと教えていただけるんですけど、
産地やどこで捕れているのかが気になっていたんです。

しかし、お店の方に聞くと答えがバラバラで。
つまり、仕入れをした人と販売する人のあいだで、
忙しい市場の朝、情報がうまく共有できていないことが多くあったんです。
そういうのを目の当たりにして
「それなら、自分がこの魚が捕れているところに行くしかない!」と思い始めたんです。

そこで自分が使いたいと思う食材については、
実際に自分が足を運んで見に行く、というスタイルが始まりました。
店を始めて2年ぐらい経った、26~27才ぐらいの頃です。

――日本全国ですよね? それはなかなか大変だったのではないかと......。

岡田 でも、実際に自分で日本全国の漁港に行くとスッキリするんです。
当たり前ですけど、現場に行くと誰から買っているのか、どこの魚かはっきりしますから。
僕の特技であるコミュニケーション力を発揮して、
港に行って「寿司屋やってます」と話すと皆さん快く受け入れてくださるんです。

そうするうちに船に乗せてもらったり、一緒にお酒飲んで話を聞いたりして、
現地の方々と絆を深めていきました。
そのときに得た知識や経験は、本当に僕の財産になっています。

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▲全国の漁港に足を運び、船に乗ることも

食材を大切にする気持ちのことを、僕は『食材魂』と呼んでいるんですけど、
食材には「それを獲ってくださったり、育ててくださった方の魂」が入り、
そういうものを受け取って、僕たち職人も魂を込めてお寿司を作る。
1つの寿司のなかに、いろんな魂が入っているんですよね。
それをお客様が食べてくださっているんだと感じ始めました。

普通に仕入れていたときは、そんなことを思ったことはなかったのですが、
「この魚の中には、あの人の魂が入っているんだ」ということを実感しはじめて、
そのあたりから、 お寿司を出すときに「この魚はなんなのか?」という背景などを、
お客様にお話しするようになっていったんです。

――『食材魂』というのは、岡田さんを象徴するキーワードでもありますね。

岡田 その"魂"の目線は食材だけではなくて、醤油差しや器などにも広がっていきました。「これは作った人の魂が入っているな」というものに出会うと、それにどんどん変えていき、今では魂がないものは、使うことに違和感があるほどです。

どこかのタイミングで「大介は本物以外、興味がないという生き方をしたほうがいい」
と言われたことがあったのですが、
当時は、本物ってなんだろうと思っていたんです。
でも、今になって考えると「人の手で魂を込めて作られているもの」が本物で、
それは食材も道具も同じだと思っています。


〈地元の人が気軽に入れる店も作りたかった〉

――"器"という話が出ましたが、
同じエリアで展開されてる『Suido Cafe』ではギャラリースペースもあり、
作家さんの展示や、カフェもやっていますよね。

岡田 八丁堀のお店から浅草橋で1年。
その後、文京区水道にお店をきちんと構えるようになり、最初は一人でやっていたんです。
途中から弟が入って、従業員が増えていきました。
でも、そうなると、自分に時間ができてきたので
「カフェをやってみようか」と開いたのが『Suido Cafe』でした。

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▲東京メトロ有楽町線「江戸川橋駅」近くにある『Suido Cafe』


『酢飯屋』は当初から紹介制のお店です。
気軽に入れる店ではないから、言ってみれば地域の人にとってみればいらない店ですよね。
ですので、地域に貢献というか、何かできることはないかなという意図もあって、
地域の人がくつろいで過ごせる空間を作ろうと思ったこともキッカケで。
託児所付きのランチなど、
これまでにやれていなかったことも積極的に取り入れていきました。

それと、スタイルは違えど『食材魂』という根幹は共通しています。
いろんなところに足を運ぶと、魚以外の出会いもたくさんあって、
それらを活かせる場所を作りたかったというのもありました。

食材だけでなく、器にも凝り始めた時期だったので、
お店の入り口に棚を作ってギャラリースペースにしていました。
ここでもやっぱり"魂"で、作家さんとお話して買う器って、やっぱりその思いが伝わるんですね。
その思いを知ったうえで使うと、僕だけでなく、
従業員も器の洗い方などぜんぜん違ってきて、大事に扱うんです。
それで作家さんに来てもらうという展示も始めました。


〈命の話を子どもたちにわかりやすく伝える〉

――最近では、賞も受賞された絵本
『おすしやさんにいらっしゃい!生きものが食べものになるまで』(岩崎書店)の出版は、
岡田さんならではだと思いました。
10万部を超えるヒットになっているそうですね。

岡田 ありがとうございます。
これは2021年2月に発売された本で、
サブタイトルが「生きものが食べものになるまで」なんですけど、
この言葉がメインではないかと個人的に思っているぐらいに大事なことです。

僕が握っている寿司ひとつに、いくつの命が入っているのか。
自分たちの命はたくさんの命で成り立っているということを改めて思いました。
命の話というのは、まじめに話してもなかなか聞いてもらえないですよね。

でも、お寿司を入り口にすると、みんな興味を持って耳を傾けてくださいます。
それは大人も子どもも一緒です。
それで生きものが食べものになるまでを、
わかりやすく子どもに伝えようということで写真絵本として作りました。

そもそも魚の写真を撮るのが好きだったのと、ブログを書くのが好きなんですが、
それを見ていた出版社の方が「これは本にしましょう!」と言ってくださって、実現しました。自分のブログは、まさに自分だけのWikipedia状態なんです。

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▲実際に魚に触れて体験する子どもたち


〈好きを仕事にするために大事なこと〉

――この連載のタイトルが「好きを仕事に」ということなんですけど、
さまざまな活動をされている岡田さんにとっての「好き」とは? 

岡田 難しいですね。「寿司」とか「魚」とかだけには絞れなくて、
言ってみれば、「生きものが食べものになるまで」というのが好きなのかもしれません。
だから、絞れないぐらいに全部に興味があります。

最近だと、魚が住んでいる海の中についても興味があります。
自分が表現したいのは、
海の中で生きている状態から食べ物になっていくまでをまとめていきたいということ、
それがライフワークになっていけばいいなと思っています。

そして、その先にあるのが海のことです。
地球の7割を海が占めているからこそ、どんな形でもいいので、
多くの人に「海」に興味を持ってもらいたいんです。
その先に考えることは人それぞれでいいと思っています。

――実際に「海」に関する活動はされているのでしょうか?

岡田 「シーベジタブル」という海藻のベンチャー企業の顧問をしています。
海の温度の上昇や、海藻を食べる生きものなどの食害などで、
今、海藻が全国的に失われつつあり、
そうすると魚が卵を産む場所がなくなってしまいます。
海藻は"海のゆりかご"と言われるぐらいで大事な場所で、
生態系にも影響してしまうんです。

私が顧問をしているシーベジタブルは、
海藻の専門家集団で、海藻の陸地や海面での養殖に力を入れている会社です。
北海道の昆布も、あと10年ぐらいでなくなってしまうかも言われている
危機的状況のなかで、絶滅してしまってから考えるのではなく、
今の段階でどうすれば海藻を残せるかを考えています。
日本の海藻の未来を大きく担っている存在と言えると思います。

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▲さまざまな海藻を観察する岡田氏


スーパーで500円程で売られている昆布が、5,000円もするような時代が来ます。
そうならないために、海藻が陸地でも作れる環境を研究し、
1,500種もある海藻をどうやったら食べられるかを考えることが求められている気がしています。

――いろいろな活動をされていますが、その根幹は同じで、そこにブレはない印象ですね。

岡田 軸は何かと聞かれたら、母の死であり、
食の道に進めというのは母からのメッセージだったのではないかな、
という思いはずっとあります。
だからブレないんだと思います、ブレたら母から怒られそうですし(笑)。
興味は広がっていますが、そこにはブレない軸があって、
その枝葉が広がっているのが今の活動になっているんじゃないかなと思っています。

――「好きを仕事に」ということですが、
好きを仕事にし続けるために、いちばん大事なことってなんだと思いますか?

岡田 『好奇心』だと思います。
好奇心が原動力になっている気がします。
やりたいことの方が多いので、興味と好奇心が枯れないうちは、
ずっと続けていけるんだと思います。

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▲岡田氏は本にまつわるイベントも開催している 撮影 : 遠藤宏


〈プロフィール〉
岡田 大介(おかだ・だいすけ)
1979年2月2日生まれ。寿司職人歴25年(2022年現在)。 東京都文京区にある、完全紹介制の寿司屋『酢飯屋(すめしや)』を経営。 20年ほど培ってきた寿司の知識や技術をもとに現在は、すし作家として活動。『生きものが食べものになるまで』をコンセプトに 海と食のあいだをさまざまな形で表現し発信し、伝え続けている。「やりたいことは、やってみる」。 それが岡田大介の基本理念です。