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2016.03.26

おおやまひろき・オオヤマヒロキ・大山浩輝・Hiroki Oyama

[記録]

岡田大介が勝手に大山浩輝を記録しているページです。
理由は言うまでもなく。

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ケーキ:有馬朱美

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写真は
20歳=お酒解禁ということで
みりんも含め、
ふざけてでも頑なにアルコールを飲ませてこなかった浩輝と
初めてお酒を飲みながらみんなで祝った夜。

以下
2016年3月21日
20歳の誕生日に記された
彼のこれまでの記録の一部です。

大山浩輝Facebookより
僕より年上の全ての方々が経験されている二十歳になるということ。
人生のひとつの節目に立たされたいま、いろいろな気持ちが湧き上がります。
嬉しい気持ちや寂しい気持ち、緊張もしています。
思えばあっという間だったようで、すごく長かった二十年。
早く大人になりたいと思ったり思わなかったりした二十年間は
おしまいなのですね、、。
特にオチがあるわけでもないですし、
ところどころどうでも良すぎる内容が入っていますが、
なんとな〜く自分語り始めます。

僕の最終学歴は中卒です。
高校入学後ひと月、
毎日学校終わりに遊んでいた中学校の同級生Y君が、
京都に料理人の修行でさよならバイバイしてしまったことによるショックで
学校に行く気をなくします。
その時の担任のK先生は頻繁に家庭訪問に来てくださいました。
家庭訪問と言っても家の前でK先生の車の中でお話をするのですが。
六月の最後これ以上休むと留年になるよと言われた日、
将来についての考えを聞かれました。
はっきり言って何も考えていませんでした。
夢があるとしたら、お金持ちになって遊びたい。そんな程度でした。
そんなことを高校教師に言っても、
しっかり勉強していい企業に就職しなさい。
だとかなんとか言われるような気がしていた僕は
その話題が一番苦手だったのです。
黙っていたら、今は何をして遊んでいるのかを聞かれました。
工作が好きな僕は当時、刃物作りにハマっていました。
ホームセンターで買ってきた鉄の板を、
グラインダーでがんがん削って作るのですが、割とガチな刃物ができます。
15歳の少年がやるには危ない遊びです。
言ってしまってから怒られると思って後悔していたのですが。
K先生はテンションが上がり「よっしゃ刃物が好きか!
それなら刃物が有名な岐阜県の関市に行ってみるかっ!」
と一言。
そのままの勢いで車を走らせ、高速に乗り、
二時間ほどかけて関市に連れて行ってくださいました。
着いた頃には日も暮れかけていて、
刃物工場も開いてるところはありませんでしたが、関の街を散歩しました。
帰りの車の中で刃物以外にもサイクリングにハマっている事を話したら
またK先生のテンションが上がります。
もう学校なんてどうでもいいから、自転車で旅でもしてきたらどうだ、
お金もあまりかからんだろうし。
と冗談なのか本気なのか言われました。
その手があったか!
と電車賃すらろくにもってないような当時の僕は、
すぐに京都のY君の家まで自転車で行くことを決意しました。
K先生は全力で背中を押してくれました。
灼熱の七月中旬、
片道約200キロを正月特売の安物自転車(クロスバイクタイプ)で走り出します。
まああっけなく一日で目的地の京都までついてしまうのですが。
一人で修行に出たY君宅(一人暮らし)で居候させてもらい、
持って行ったお金がなくなった八月の頭に引き上げました。
京都での出来事は端折りますが
またまたたくさんの新鮮な経験をし愛知に戻ってきます。
それからすぐにバイトをしようと決意しました。
思いつきで近所のスーパーの惣菜部に入りました。
社会人に半分仲間入りです。
ですが幼き頃からの怠慢癖が抜けず、遅刻に欠勤に、、、。
初めての給料は約5万円でした。
当時の僕にはものすごい大金です。
給料をもらうという事のありがたみをひしひしと感じながら、
ps3となにかを買って一日で使い果たしました。
そんなこんなでバイトを始めて二ヶ月ほどだった頃、
元高校野球監督の体育会系のちょっぴり怖そうなyさんが
惣菜部の新しいリーダーとしてやってきました。
その日から惣菜部の空気は一転します。
yさん、ちょっぴり怖いどころかものすごく怖いのです。
曲がった事が大嫌いなyさんには、
遅刻に欠勤を繰り返しながらヘラヘラしている僕なんか言語道断。
もうとにかく怒られまくりました。
と言っても悪いのはもちろん僕です。
yさんの言っている事はいつも正しい事ばかりで、
僕は次第にこれは怒られているのではなく叱られているのだなと理解し始めます。
「お客様に買っていただくものを作ってる時点でお前もプロの一員なんだ」
という言葉もいただき、僕にもプロとしての自覚が必要なのだと知りました。
愛のムチを打ち続けてくださるyさんの気持ちに僕も答えられるようになりたい。そこからバイト本気モードになります。
そんなyさんも短い期間で転勤してしまい、惣菜部のリーダーも変わります。
その頃から惣菜部もより一層忙しくなり、
僕の仕事も増え中々ハードなフルタイムバイトとなります。
ここら辺から惣菜部兼寿司部担当となります。
体力的にもかなりハードでした。
その代わり働いた時間分給料が出て、その分贅沢をし、たくさん遊びました。
高校に通っていればそろそろ二年生の終わりという頃、
惣菜部で片付けをしている時に突然とてつもない不安感が襲って来たのです。
こんな事を言うと失礼ですが、
スーパーの惣菜部のバイトで、このまま一生を終えたくないと思い始めたのです。
学校に戻る事を決意しました。
大学に行きたいとそう思いました。
母に相談しました。
僕の頭の中には通信制高校というものが浮かんでいたのですが、
母は反対しました。
卒業までに最低でも三年かかるようなところに通い続けられるはずがないと。
言われてみれば確かにそうです。
母が進めてきたのは
高校中退者が大学受験をするための資格(高卒認定試験)を
取得することに的を絞った学校、河合塾のCOSMOというところでした。
高卒認定試験は一年に二回、八月と十一月に実施されます。
二回以内に合格してしまえばその年の大学受験をすることができ、
やる気さえあれば一年で大学に行けてしまうのです。
バイトは一応続けたまま入学しました。
COSMOには普通高校のような沢山の規則はなく、
好きな時間に好きな授業を受けることができ、いろいろなゼミも存在しました。
一学期入学したてやる気満々の僕は
とにかく八月で合格してやろうと試験に必要な授業を受けまくります。
入校パンフレットを見た母から、
とあるゼミへの参加も勧められますが、とりあえず無視です。
恥ずかしながら八月の試験で英語だけ不合格します。
そして二学期に入り、怠け癖が悪い意味で頭角を現します。
やっぱり勉強めんどくさいとなってしまい、
大学受験モチベーションも一気に下がります。
まあ英語も十一月の試験で合格させて、
一番簡単な大学にでも入るかなぁどうしようかなぁ。
とか思いながら気楽モードに入りました。
受かってしまった他の科目はもうどうでも良くなり、
英語の授業だけ受けるようになりました。
だいぶ余裕ができました。
なので一学期に母から勧められたゼミに参加することにしました。
そのゼミは西城ゼミと言います。
西城ゼミはゼミ主催者の西城さんのセンスに任せて、いろいろなことをやります。僕が入った時期からは陶芸をやりました。
基本的には名古屋のCOSMO校舎内で、一週間に一回、朝から昼まで陶芸をして、
ゼミ生みんなでお昼ご飯を作り食べて解散です。
お昼ご飯はみんなで役割分担して作ります。
そして僕がネギ切り担当になった時、西城さんから
「お、なかなか手際いいな。料理興味あるのか?」
とお褒めの言葉をいただきます。
調子に乗った僕はスーパーで惣菜部兼寿司部でバイトしていることを話します。
「それなら俺東京にいい寿司屋知ってるけど、修行してみないか?」
ここでの西城さんの一言は、これまでにないほど僕の心を躍らせ揺さぶりました。
大学に入り、安定した職に就きたいとは確かに思っていましたが、
そのまま続けたところで結局スーパーのバイトみたいに、
なんのこだわりもない一生になってしまいそうだな。
なんて思っていたところだったので、
ここは一発そこにかけてみようかなと思いました。

小さい時から僕は魚に夢中でした。
言うまでもなく世界中の食べ物の中で寿司が一番美味しいと思っていました。
祖父に出刃包丁を買ってもらってからは、
名古屋に行くたびに市場に足を運び、魚を買い、独学で捌く練習をしていました。
実はめちゃくちゃ料理も好きだったのです。
ですが料理人修行は、
調理系の学校から就職をするか、誰かからのコネがないといくことができない
と思っていたので、趣味の範疇で留めておくことしかできませんでした。
地元ならまだしも、東京なんてなおさらのことです。
びびってたんですね。
ちなみに料理人修行に行ったy君のお父様は料理人であり、
そのコネがあったから京都へ行けたそうです。
祖父は昔から手に職をつけてほしいといっていました。
祖母のお父様は神戸の大料亭の大将でした。
そういったもの全てが寿司修行への伏線に感じられました。
思い立ったら即行動の僕はもちろんのこと修行することを決意しました。
とは言ってもその時点では修行ができると確定したわけではないので、
すごくドキドキしながら面接をするために食べに行きました。
そここそが今僕が働いている寿司屋。
過言ではなく日本が世界に誇れる寿司屋であり
天才寿司職人の我らが大将、岡田大介師匠がつくりあげた"酢飯屋"です。
味はもちろんのことながら、
これまでにない新しい寿司のカタチを心の底まで堪能させていただきました。
夜にお寿司を食べ、翌日のお昼に面接をしました。
面接は大介師匠といろいろな話をします。
僕はこれまでやってきたことをすべて話しました。
大介師匠は僕を快く受け入れてくださいました。
それからもうすぐ二年がたちます。
とまあこんな感じで
二転三転とあっち行ったりこっち行ったり転がってきましたが、
ようやく僕にも将来の目標的なものが定まってまいりました。
一人っ子の僕の家族は 母 祖父 祖母 の僕を含めた四人です。
父は僕が物心つく前からいませんでした。
母は僕を育てるためにずっと働いています。
小さい頃は母の帰りを祖父母の家で待ちました。
祖父は野球を教えてくれたりいろいろなところに連れて行ってくれたり、
父親代わりでした。
祖母は毎日健康を考え、
バランスの良い食事を、手間のかかる料理をたくさんつくってくれました。
こんなに勝手でわがままな自分を。
たくさんひどいことを言ったりやったりしてきた自分を。
三人は無条件に愛してくれています。
今でもまだまだ心配をかけ続けています。
祖父は 77歳、祖母は 72歳です。
まだまだ元気ですがあと何回自分の寿司を食べてもらえるのか考えてしまいます。
僕は実家に帰るたびに寿司を握ります。
そして今回誕生日の三連休も愛知に帰り寿司を握ってきました。
たった二十年しか生きてきてない僕が生意気を言いますが。
僕の目標。
それは良くも悪くも悔いの残らないように人生を送ることです。
やりたいことはやる。
やりたくないことはやらない。
一見わがままですがこれが僕の性分。
そしてこれを貫いて生きていけるならかっこいいじゃないですか。
それが僕の幸せなら、僕の家族は多分、満足なのです。
だからとりあえずいまは大好きな寿司を食べながら作りながら、
とことん堪能します。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。


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